なぜ東漢の歴史は西漢ほど人気ない?
西漢の歴史は、まさに「熱血大男主人公」が天下を取るネット小説のような爽快な物語である。一方、東漢の歴史は、宮廷内の権力争いと後宮の嫉妬に明け暮れる「家庭ゴシップ連続ドラマ」に過ぎない。大多数の人は、熱血爽文を好むものであり、退屈な家庭劇には惹かれない。ゆえに、東漢史が西漢史ほど人気を博さないのは当然のことである。
西漢の歴史は、まさに「熱血大男主人公」が天下を取るネット小説のような爽快な物語である。一方、東漢の歴史は、宮廷内の権力争いと後宮の嫉妬に明け暮れる「家庭ゴシップ連続ドラマ」に過ぎない。大多数の人は、熱血爽文を好むものであり、退屈な家庭劇には惹かれない。ゆえに、東漢史が西漢史ほど人気を博さないのは当然のことである。
■ 西漢:まさに「ネット小説級」の熱血爽文史
西漢の人気は、その物語構造に理由がある。まるで現代の「異世界転生・成り上がり系」ネット小説のように、低身分から皇帝へと駆け上がるドラマが連続する。
▶ 劉邦:底辺からの逆転劇
沛県の亭長に過ぎなかった劉邦は、四十歳を過ぎても無名の男であった。しかし秦を滅ぼし、項羽を破って天下を手中に収める——まさに「落ちこぼれ主人公の逆襲」である。
《史記·高祖本紀》に曰く:
「高祖、沛豊邑中陽里人なり。姓は劉氏、諱は邦。父曰く太公、母曰く劉媼。」
白登山の戦いで匈奴に包囲され、屈辱的な和親政策を強いられる場面は、まさに「突如現れたラスボス」の如く、読者の心を揺さぶる。
▶ 文景の治から武帝の大飛躍へ
恵帝・文帝・景帝の時代は、内には呂氏外戚を排除し、外には諸侯王の反乱を鎮圧。国力を蓄え、まさに「修仙小説における主人公の修行期」のごとし。
そして武帝の時代——匈奴を撃破し、河西回廊を奪い、衛氏朝鮮・南越を併合。さらには西域の大宛(フェルガナ)までも降伏させる。
《漢書·武帝紀》に曰く:
「元狩二年、霍去病、河西を抜き、休屠王・渾邪王を降す。遂に酒泉・武威・張掖・敦煌の四郡を置く。」
中亜のギリシャ系国家すら臣従し、「半分の世界」を手中に収めた漢帝国——これはまさに「最終章で世界を支配する爽文主人公」の姿である。
▶ 宣帝まで持ち直し、王莽の簒奪と復興劇
昭帝・宣帝の時代は小康を取り戻すが、元帝・成帝と一代ごとに衰え、ついに平帝の死後、王莽が簒奪。しかし「仮皇帝」王莽が立てた劉嬰(孺子嬰)は傀儡に過ぎず、やがて劉玄・劉秀ら劉氏一族が蜂起して漢室を復興。
《漢書·王莽伝》に曰く:
「莽、孺子嬰を立てて皇太子と為し、自ら『仮皇帝』と称す。」
この「一時的な危機→最終回で無事解決」の構図は、まさにネット小説の「安心安全エンド」——読者を不安にさせず、満足感だけを残す。
■ 東漢:退屈な「宮廷ゴシップ連続劇」
一方、東漢は「爽文」ではなく、「家庭ドラマ」である。国家存亡の危機はなく、代わりに繰り広げられるのは、皇后・宦官・外戚の権力争い——どれも「大騒ぎしているが、実はどうでもいい」小競り合いばかりである。
▶ 劉秀:英雄ではなく「妥協の帝王」
劉秀の統一戦争には、西漢のような「命懸けの逆転劇」はない。彼が打ち破った赤眉軍の樊崇は、ただの無法集団に過ぎず、項羽のような「圧倒的ラスボス」ではない。
《後漢書·劉盆子伝》に曰く:
「赤眉、無知にして貪欲、略奪を好み、民を苦しむ。」
匈奴はすでに南北に分裂。南匈奴は劉秀に臣従し、北匈奴討伐の先鋒となる。外敵の脅威はなく、羌族の反乱も統一勢力を持たぬ「散発的盗賊」に過ぎない。
▶ 豪族との妥協政治 → 後宮の権力争い
劉秀は豪族と婚姻同盟を結び、彼らの利益代表として統治した。その代償として、後宮は豪族出身の皇后・妃たちの戦場と化す。
【ゴシップ①】陰麗華への一途な恋心
光武帝は少年時代から陰麗華に恋心を抱き、「娶妻当得陰麗華」と公言。河北豪族の娘・郭聖通を政治的結婚で皇后に立てるが、後に強引に廃して陰麗華を立てた。
《後漢書·皇后紀》に曰く:
「光烈陰皇后諱麗華、南陽新野人なり。初め、光武新野に適し、後の美を聞き、心悦ぶ。後、長安に至り、執金吾の車騎の盛んなるを見て嘆じて曰く:『仕宦は執金吾と為すべし、娶妻は陰麗華を得べし』と。更始元年六月、宛の当成里に於いて後を納む、年十九。建武十七年、皇后郭氏を廃して貴人を立つ。」
——まるで現代の恋愛リアリティショーである。
【ゴシップ②】若くして夭折した和帝
明帝・章帝の治世を経て、和帝は幼少より聡明。竇憲外戚を粛清し、北匈奴を西域に追い払う。しかし——27歳で夭折。
《後漢書·和帝紀》に曰く:
「冬十二月辛未、帝章徳前殿に崩ず、年二十七。皇子隆を皇太子に立つ。…竇憲誅せられて後、帝躬しく万機に親しむ。災異あれば輒ち公卿を延問し、得失を極言せしむ。」
——爽文なら「70歳まで生きる漢武帝」のように長寿で天下を治めるはず。しかし現実は残酷。
【ゴシップ③】売官皇帝・安帝と宦官に操られる順帝
安帝は公然と官職を売買(「永初元年、吏人に錢穀を入らしめて関内侯を得しむ」《後漢書·安帝紀》)。その子・順帝は宦官の支援で即位し、19人の宦官を侯爵に封じる。
——国家の要職が金と陰謀で取引される時代。
【ゴシップ④】毒入り餅で殺された「口の悪い」質帝
外戚・梁冀が専横。幼帝・沖帝は夭折。質帝は梁冀を「跋扈将軍」と罵ったため、毒入りの餅を無理やり食べさせられて殺害される。
《後漢書·質帝紀》に曰く:
「質帝少くして聡慧、梁冀の専横を見て、朝会に於いて目を眇めて曰く:『此れ跋扈将軍なり』と。冀これを聞き、毒餅を進じて弑す。」
その後の桓帝は梁冀を倒すが、やがて自らも昏君と化し、「桓霊の暗君」時代へ——黄巾の乱の火種を育む。
■ 結論:外敵なき時代の退屈な衰退
東漢の時代、匈奴は衰え、羌族は分裂、朝鮮・交趾は既に漢土、倭国は「貢ぎ物を捧げる小部落」に過ぎない。外に強敵なく、内に奸臣・宦官・外戚が跋扈する——これは「最も良い時代」でも「最も悪い時代」でもなく、「紙一重の退廃」の時代である。
班超のような「西域で孤軍奮闘する若者」の物語は、この退屈な時代における「不協和音」に過ぎない。
《後漢書·班超伝》に曰く:
「超曰く:『不入虎穴、焉得虎子』」
——しかし、そんな熱血の叫びも、東漢の宮廷ゴシップの波に飲み込まれていく。
■ なぜ東漢史は人気にならないのか?
西漢は「熱血・逆転・天下統一」の爽文。
東漢は「後宮・毒殺・売官・幼帝・宦官」のゴシップ劇。
読者がどちらを選ぶか——答えは自明である。